ルース・スレンチェンスカの芸術Ⅶ

楽曲紹介 – ルース・スレンチェンスカ(談)

訳: 三船文彰
セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)
13の前奏曲 作品32より
第5曲 ト長調

1910年にこの作品が完成する前にラフマニノフはすでに3曲のピアノ協奏曲を完成させました。ラフマニノフの作曲の霊感は、人間同士の刺激よりも内在の感覚から来ています。例えば、一枚の素晴らしい絵を見たり、一篇の良い詩を読んだりすることで創作の意欲が湧き上るのです。なので、彼はいつもいろんな友人に詩集を送ってくれるよう頼んでいました。その中のエドガ・アラン・ポーの「The Bells 鐘」がお気に入りで、それで1913年に合唱交響曲「鐘」(作品35)を書きました。この前奏曲も「鐘」からインスピレーションを得た作品だと思います。

1934年と1935年の夏、私は幸運にもラフマニノフにレッスンを受けたのですが、彼は、いつも夏はパリのヴィラ・マジェスティックを定宿にして毎日長時間の練習をしていました。その時私は彼の「ピアノ協奏曲第2番」に夢中で、弾きたくて仕方がなかったのですが、しかしまだ9歳の私の小さく力の足りない両手が転びながら鍵盤の上を行ったり来たりして演奏する様を見て、大爆笑し、ピアノの前に座って私に弾いて聴かせてくれ、本当の和音の音とはどういうものかを詳しく教えてくれたのです。

最後に彼は出来ればこの協奏曲を諦めて、このト長調の前奏曲を練習するよう勧めてくれましたが、私が「この曲はたった4ページしかないのに」と抗議したら、ラフマニノフは「一曲の短い前奏曲を書くのは協奏曲を作るよりも難しいですよ。なぜなら、簡潔な形式の中で音楽的に言いたいことを完璧に語らなくてはいけないのは至難のことですから。」と私に言いました。

ト長調の前奏曲は一幅の甘く感傷的な絵のようです。最後は高音のトリルで鐘の音のように穏やかに締めくくられます。この曲でラフマニノフはト長調とト短調の転換の最大の可能性を発揮しました。

ラフマニノフの演奏を聴いた人なら覚えているでしょうが、彼は演奏中絶対に笑顔を見せない人です。彼は技巧を見せびらかすことや、伝統や個人の好みで演奏することはしません。あくまでも音楽的な要求に従って、自分のために演奏しているかのようです。

「私が音楽創作するのは自分の感覚を表現するためです。ちょうど私がしゃべるのは私の考えを表すのと同じことです」、とラフマニノフが書いています。

ベートーヴェン(1770-1827)
ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調
作品53「ヴァルトシュタイン」

ベートーヴェンの作品53のソナタはフランス語で「La Sonate Aurore」(夜明け)と呼ばれています。それはロンド楽章の旋律がそういう感覚を持って聴かれたからのようです。

昔私が障害を持った子供たちの病棟でアップライトのピアノでこの曲を弾いたことがありましたが、簡単なこのメロディーをまず子供たちに歌って聞かせて、子供たち全員がこの旋律を覚えるまで歌わせてから、第2楽章から弾き始め、その「夜明け」の楽章に差し掛かった時、子供たちがすぐにそれが「彼らの曲」だと分かり、そのメロディーが出てくる度に一緒に歌って、とても楽しい雰囲気でした。

ベートーヴェンは部屋のあっちこっちに思いついた楽想を書いた紙切れを置いていて、時々それらを組み合わせて何かの曲を仕上げていたようです。このハ長調のソナタがちょうど同じ時期に書いていた「英雄」交響曲と近しい雰囲気をさせるのはそういうことから来ているかもしれません。

S.バーバー(1910-1981)
夜想曲 作品33 
—ジョン・フィールドを讃えて

 サミュエル・バーバーの叔母はメトロポリタン歌劇場の有名なアルト歌手、その夫は知名な作曲家という音楽的な環境で育ち、6歳からチェロ、8歳で作曲を始め、18歳の時にカーティス音楽院に入学、5歳で入学した私と一緒にイザベル・ヴエンゲロヴァ(Isabelle Vengerova)のピアノレッスンを受けました。

彼は声楽と作曲に傑出した才能がありましたね。彼の「弦楽のためのアダージョ」は、実は急遽頼まれて一晩で書き上げたものですよ。翌日の演奏会に間に合わせるため、パート譜をクラスメートたちが手分けして書き移し、(私はチェロパートを鉛筆で書きましたが)ぎりぎり演奏会に間に合ったのですよ。その曲がのちにあんなに有名になるとは、だれも想ってもいなかったわ。バーバーは非常に感受性豊かでロマンチックな方でした。作曲手法は12音技法から古典的なフーガまで多彩でした。

この「夜想曲」は変イ長調を主調にして彼独自の和声言語で「変幻する雰囲気」を展開しています。あなたは曲の終りに「流れ星」を聴くことが出来るでしょう。彼は自分の音楽は「親密な心の語らい」であると語っていた。

ところで、彼は軍隊にとられたことがあったが、何回やらされても銃の組み立てが出来なかった
唯一の兵士だったので、炊事係に回されたおかげで、一生料理の腕前がうまかったですよ。

実は52年前の1961年1月20日のケネディ大統領の就任式の後の演奏会で、私はこの曲を演奏したのですが、演奏会の後ケネディ大統領ご夫妻が挨拶にこられ、大統領夫人が「私の娘は先生の演奏をとても聴きたがっていましたが、なにしろまだ3歳なので、夜遅くまで大人の会に参加できず、とても残念がっていました」とおっしゃったのですよ。

【訳者注】そのときの3歳の女の子が2013年11月15日に駐日アメリカ大使として着任することとなったキャロライン・ケネディ。なお、スレンチェンスカはトルーマン大統領の時代からホワイト・ハウスに招かれて演奏をしている。特にピアノを大統領の執務室にまで持ち込んだトルーマンとは四手連弾を楽しんだ仲だった。

ロベルト・シューマン(1810-1856)
交響的練習曲 作品13

交響的練習曲作品13は1834年に書き始め、1837年に出版しています。

クララ・ヴィークは1834年の日記にこう書いています。「4月21日、私の友達エルネスティーネ・フォン・フリッケンが家に来てパパにピアノを習いました。」その時クララは15歳、すでに名ピアニストとしてだれでも知る存在でした。そのクララの演奏を聴いて感動のあまりクララの父親にピアノを習うことを決めたのだった。その後、老ヴィークのピアノの部屋で24歳のシューマンに出会ったのです。

アッシュ(Asch)という町に住んでいるエルネスティーネの父親は裕福な船長で、アマチュアのフルート奏者でもありました。まもなくシューマンとエルネスティーネが恋仲となり、婚約までしたのです。

ロマンチストのシューマンはエルネスティーネの父親が書いた数個のメロディーを発展させた変奏練習曲を1837年に「12曲の交響的練習曲」として出版したが、その時にはエルネスティーネとの恋が終わったため、ただ「あるアマチュア音楽家の主題による」としか注釈しなかったのです。

シューマンが亡くなった後に出版した5曲の変奏曲は「交響的練習曲」の一部と考える人も多くいますが、確かにこの5曲はとても美しいですが、私の考えでは第1~4曲は「交響的練習曲」の他の部分と雰囲気が似すぎて、演奏するとなると長すぎてもたもたした感じになります。ただ、第5曲(変ニ長調)は天国的な静かな喜びや安らぎに満ちた音楽で、ダイナミックな第8曲と第9曲の間に加えて演奏することにしたのです。第12曲は1852年版のものを8小節(167~174小節)省いて弾いております。

ベートーヴェン(1770-1827)
ピアノ・ソナタ第12番変イ長調
作品26

このソナタは亡くなった私の主人のために演奏したのです。第1楽章は彼の暖かく、自信に溢れた人柄を表しています。学問、理想、家庭、すべてに置いて十分に目標を達成した人でしたが、口には出さないタイプです。葬送行進曲の最後は、戦死した英雄の未亡人が国旗を授かる儀式のように私には感じられ、毎回演奏する度に精神的な苦痛を味わうほどです。最後の楽章は私たちの楽しかった旅行の思い出の描写のようです。

セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)
ピアノ・ソナタ第3番 イ短調 作品28

「今日なにをしたの?」「今日は楽しかった?」毎晩母親が幼いプロコフィエフをベッドに寝かしつけるときに必ずこの2つのことを聞いてくれました。そして、3つめのフレーズは10歳のプロコフィエフが頻繁に聞くことになります。それは彼の才能に期待していた恩師タネエフの言葉です、「君のこの和声の処理は陳腐で平凡だね」。タネエフは幼少のプロコフィエフに決定的な影響を与えました。仕事に没頭する習慣と独創的な音楽言語を確立する努力をすることです。このような環境がプロコフィエフの他人と違う風格の音楽を作り出したのです。しかし最初は評論家、音楽関係者、聴衆から反逆者として痛烈に批判されました。

1917年、26歳のプロコフィエフは1907年にノートに書きつけたいくつかの旋律を集めて古典的な形式でこの単楽章のソナタを作りました。曲は5つに区切られますが、その中の4つはイタリアのタランテラ舞曲のリズムで成り立っています。第2楽段だけは抒情的な雰囲気で、他の速いものと対比させています。そしてハ長調で書かれていますが、まさにこの作曲家の好む調です。

プロコフィエフはバッハ、モーツアルト、ベートーヴェンと同様に古典的な対位法を非常に技巧的に駆使し、第1と第2主題を発展させています。

プロコフィエフの音楽は複雑な装いの中に情熱が迸り出ています。若い時は伝統に反抗しましたが、プロコフィエフが残した音楽の遺産は、及ぶ者がなく、彼ただ一人の伝統となりました。

ルース・スレンチェンスカの芸術Ⅶ

2013年12月ライヴ&2014年1月レコーデイング 台北、台湾
LIU-1012/13(国内盤CD2枚組)税込定価¥4400
録音 CD1 & CD2
2013年12月20日 ライヴ録音 台北、東呉大学松怡廰ホール
録音 CD2
2014年1月9日 台北、東呉大学松怡廰ホール

演奏
ルース・スレンチェンスカ(ピアノ)
89歳の巨匠 さらなる極みへ!

89歳の超人ピアニスト、台北での喜びに包まれた名演!
ベートーヴェンの「ヴァルトシュタイン」とシューマンの「交響的練習曲」は金字塔的名演!

〒703-8266 岡山県岡山市中区湊836-3
FAX & TEL 086-276-8560

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