お陰さまで記憶に残る醍醐桜まつりの開幕演奏を終えることができました。😊
一昨日は雲一つ無いです大晴れでしたが、昨日は天気予報通り、朝の4時から岡山県全体が大雨となりました。
醍醐桜まつりの開幕の時間に急に10分だけ雨が止み、醍醐桜の下で演奏ができました。
立ち会った方たちは、奇跡が起こったと確信したようです😊
2024年3月23日、岡山 NEWS WEB
「醍醐桜」樹齢1000年の一本桜楽しむまつり 真庭
雨の醍醐桜の下で、世界平和の願いにカタロニア民謡「鳥の歌」、美智子上皇后さまのご健康を祈願して「ねむの木の子守歌」を弾かせて頂きました。
実は、ずっと雨でした。
私以外の全員が外は無理だと思い、桜のすぐ近くの休憩所で弾くことになっていましたが、雨が少し止んだのを見計らって、私がチェロを持って走って醍醐桜の下で弾いたのです。
ギリギリのタイミングでした。
私がチェロを持って走り、その後に、東京から駆けつけた私の大学の後輩のDennisがチェロの椅子を持って走り、更にその後に大勢が傘を差して、醍醐桜めがけて、細い道を駆け上がる光景は絵に描きたいくらいでした✨
私のような者が醍醐桜で弾くと雷が落ちてくる、と市長に言いましたが、まさに大雨となりました😅
しかし、決行を決めたのは、実はその前の日でした。前日に醍醐桜に呼ばれて、すでに醍醐桜に音を聞いて頂いていたのです。
その時、あまりにも信じがたい音がしたので、どうしても雨の中でも来られた方々に是非聞いて欲しかった事での行動でした。
岡山でも朝から晩まで土砂降りでしたので、誰しも醍醐桜コンサートは外では絶対に無理だと思ったことと思いますが、その中でも駆けつけて下さった多くの友人がいましたので、その方たちに忘れられない思い出を残してあげたいという思いで起こした行動でした。
コンサート前日の22日の午後、醍醐桜に呼ばれ、醍醐桜に二時間チェロの音を聞いてもらったときの写真です。
2024年3月24日、津山朝日新聞
「醍醐桜」の根元で 感動的なチェロの深い音色 クラシックの名曲も/岡山・真庭市
醍醐桜とは30年来の付き合いとなります。
改めていくつかのエピソードを記します。
10数年前に、家内と満開の醍醐桜の花びらを見ていたら、彼女が「醍醐桜の花びらの一枚一枚がルース先生の弾くピアノの音に見えてきた」、と言うので、私がルース先生に樹の下でピアノを弾いて、じかに桜にピアノを聞かせて上げようと思いつき、奇跡的な展開になったことで、醍醐桜との深いお付き合いが始まったと思っています。
その後、2011年、2022年と、久保陽子先生に奇美博物館の名器を使用して、醍醐桜の下で東日本大震災の慰霊と復興祈願演奏を行っていただき、感動的に終わりました。
その後、桜の種が宇宙ステーションにも打ち上げられ、今は醍醐桜の近くに宇宙醍醐桜の樹が8メートルまで育っています。
ルース先生が奉納演奏の時に悠仁さまのご誕生のお祝いに美智子さまのために「砂山」を弾かれました。2007年頃は美智子さまにご報告するすべはなかったのですが、2011年、東京の求道会館での私の東日本大震災へのチャリティーコンサートに皇后さまがご臨席下さったお陰で、その後、御所にてルース先生とともに、醍醐桜での奉納演奏の一部始終をご報告することができました。
これらは全て、醍醐桜が動いたことで、次々と信じがたい、しかし、深い意味合いを持つ展開となったと私は感じました。
つまり、醍醐桜は私を認識していると感じたのです。
醍醐桜がこれからも守られ、100年でも、300年でも更に生きていけるよう、私の行動はそのためだけのものでした。
それを醍醐桜も分かっているようです😊
穢れのない、唯一無二の日本の宝の醍醐桜が、尊敬され、守られ、そして、思いを寄せる人にエネルギーを与える存在として、生き続けて欲しいというのが私の願いです。