窓際のトットちゃんの映画が今日から封切りになるようです。
知人が黒柳徹子さんの興味深いインタビュー記事と写真を送ってきたくれました。
記事内にある上記写真のサングラスの女の子の左が徹子さん。
実は、右から二番目の男の子が私の父劉生容。
トモエ学園での出来事を小さい時から父に聞かされましたが、15年前に黒柳徹子さんが劇の公演で岡山にいらっしゃった時に劉生容記念館を訪問して下さり、夜の10時から真夜中までいろいろ思い出話をして下さいました。父に本を読んでもらったことなどを鮮明に。
しかし、徹子さんが忘れていた事は、水泳の時間に、父の海水パンツを後ろから引きずり降ろした事です。当時ではみんな素っ裸で泳がなくてはいけなかったようなのですが、父が恥ずかしいので、海水パンツを履いて行ったからでした。
「私がパンツを降ろしたの!」と、徹子さんは声を上げて喜んでました。
父劉生容が生まれた台湾の台南の柳営の劉家は台南県の大地主でしたので、父が8歳頃に東京の柿の木坂に洋館を建てて、一家が終戦までそこで暮らしてました。その時にトモエ学園で学んで、徹子さんと仲良しだったようです。
柳営の洋館の二階での写真。左が劉生容6歳。
徹子さんは、劉さんの絵を見たいと、昼と夜の劇の2回公演の後の夜更10時にいらっしゃいました。
私が寿司屋をしている患者さんに特別に頼んで、夜の10時に持ってきてもらった大きな桶に入ったお寿司を半分ペロリ、モンブランが好物と付き人に事前に聞いておいたので、岡山の数軒のお菓子屋からの6種類のモンブランを3こ更にペロリ。
その後、夜中の12時半まで話をして、ハイエースのような車で、付き人一行5人四国へ向かって出発されました。次の昼にまた公演があるとのことで。
黒柳徹子さんの食欲とバイタリティーに脱帽しました。
そして、記憶力の凄さ。
ただ、父の海水パンツをずり降ろした事は覚えておられませんでしたが😊
その日は、私も公演を観に行きましたが、岡山市の市民文化ホールで「喜劇キューリ夫人」という一人で動きぱなしの劇を昼と夜の2公演をこなされましたので、相当のエネルギーを費やされたから、そのくらい食べないと持たないと思いました。
徹子さんの頭脳はスーパーコンピュータ並みです。トモエでの私の父との思い出など80年前の事も良く覚えておられました。
しかし、自分がしたことは忘れてます😊海外パンツをずり降ろされた父はずっと覚えてましたが😅
それにしても、その日の昼に計4時間の劇の二回公演の後に、テレビで見ているような早口で2時間喋りっぱなしでした😊
私も負けじと喋りましたので、それから、私が黒柳徹子さんのような喋り方が移ってしまったのだと思います😅
その日の出会いのきっかけで、二年後の清心女子大学の岡山シンフォニーホールでの記念公演に私がプロデュースをたのまれた時に、黒柳さんをお呼びする事が出来たのです(後半は漆原啓子さんのバイオリンという豪華な会でした)。
ひょんな事からいろいろ思い出すことが多くなりました。年ですね😅
清心女子大学のチャリティー公演を思い出して、黒柳徹子さんの時のプログラムが出てきました。
1回目が何と、ドナルド·キーン先生ですから、主催者もその後の人選に苦慮されたようです。
私は第3回と第4回のプロデュースを任されましたが、第3回が渡辺和子先生との講演と久保陽子先生のバイオリン、第4回が黒柳徹子さんの講演と漆原啓子さんのバイオリンというこれ以上ない人選の黄金コンビでしたので、私のほうのカードはそれで使い果たしてしまいました😅
その時のプログラムも整理整頓の悪い私の資料の山から、奇跡的に出てきましたので、共有させていただきます。読み返してみても、私が押し付けた漆原啓子さんのプログラムは珠玉ながら、メチャクチヤハードな曲ばかりでした😅
黒柳徹子講演と漆原啓子ヴァイオリンコンサートプログラム(PDF)
いろんな事が目まぐるしく私のまわりに起こりましたが、打てば響くような素晴らしい能力を持たれた方々に出会う幸運があったからこそ生まれた事だと思っております😊
それにしても、そのほとんどが女性です❗
日本を更に輝く国にする秘策は、この国の数え切れない素晴らしいバイタリティーと柔軟性を持った女性たちを活用する事だと、
私はいつも思っております。
なぜなら、私ほどいろんな素晴らしい女性を見てきた男性はいないと自負しているからです😊
日本の最大の埋蔵金は女性のパワーだと思います!