群生の彼岸花もひとしきり咲き終わり、急に秋の気配がして参りましたが、台風19号の大直撃もあり、なかなか日本に天災の終息の兆しが見えませんが、皆様に置かれましては、ご健勝でお過ごしのことと存じます。
9月13日のクララ・シューマン生誕200年バースデー・コンサートは多くの方々のご尽力により無事終了しました。当日会場にお越し下さったり、また心を寄せて下さり、とてもうれしく、感謝致します。
楽器、演奏者、曲目、演奏場所、裏方、聴衆、天気まですべてが調和し、まさに一期一会の演奏会となりました。クララ・シューマンが空の上から操っているとしか考えられない、文字通り時空を超える演奏会となりました。クララ・シューマンはもちろん、ブラームス、ヨアヒム、メンデルスゾーン、ロベルト・シューマン、そしてクララの父親も喜んで下さったことと思います。
クララ・シューマン生誕200年記念バースデー・コンサートのいくつかの種あかしと補足説明をさせて頂きます。
1. プログラムの表紙の花は、お察しのように「ミルテの花」です。
苦難に満ちた人生を送ったクララ・シューマンにとって、心から一番幸せと感じた日は?と考えた時、結婚式の前夜しかないのではないかと、思い当たったのです。その夜、ロベルト・シューマンが花嫁へ送ったプレゼントがミルテの葉で包まれた歌曲集「ミルテの花」だったのです。(それをプログラムの裏面のミルテの葉に包まれたピアノで表現し、歌曲集の第1曲「きみに捧ぐ」をクララ・ワングに演奏して頂きました。)
そして、今回のこのアイデアが浮かんだことでミルテの花のことを調べたら、なんと30年前に我が家の庭に妻が植えた「銀梅花」がミルテの木だった事を知ったのです。
2. 当日久保陽子先生が演奏に使用した弓は、奇美博物館所蔵の最高の名弓「トルテ」です。(奇美博物館は歴史的な弦楽器の弓をも数百本収蔵)
弦楽器の名器だけではその音の良さを完璧に引き出せませんので、(しかし良い弓で弾くと、まあまあのバイオリンでもワンランク上の音が出るのです。その位弓が大事です。)館長にお願いして持参して頂きました。
バイオリンンが約12億、弓が7,000万円ほど。(一週間の保険金がすごい!)
しかし、楽器の値段もさることながら、このような輝かしい歴史を刻んだ、人類の宝の楽器の組み合わせによる演奏会が出来た事のほうが貴重ですね。
3. ピアノのこともお忘れなく!
この演奏会のために、3か月前から我が家を出て大阪の松本安生氏の工房で1か月以上さらに最高の状態に調整したのち、演奏会の一週間前に東京の温度湿度をベストに保った楽器保管庫に運び、13日の朝9時に会場に運び、終演後はまた保管庫へ、その後大阪まで運んで、やっと10月10日に劉生容記念館に帰還するという(梱包、荷解き、トラックに積むという作業を6回繰り返し)ピアノにとってクララ・シューマンの時代よりも大掛かりの旅行となってしまいましたが、多くの方々にこのピアノ本来の音を披露できて、クララ・シューマンもご満足の事と思います。
演奏会の最後に、私が「また100年後にお会いしましょう!」と客席に向かって叫びましたが、ぜひご期待下さい!その時、私の演奏は少しましになっているかもしれません。しかし、ピアノのことですから、また何が起こるのか。引き続きご注目下さい。