ルース・スレンチェンスカ 2017年喜びの最終章 ― Ⅱ

三船文彰

いつも「これが最後」

今から振り返れば、2003年の春岡山での私の所の初コンサートの時からずっと、「これがスレンチェンスカの最後の演奏会だ」と毎回私が決めつけていたように思う。初対面の頃の私は、人間齢78なれば、すでに天命を全うし、あとは余命を静かに楽しむだけで充分だという認識であったし、スレンチェンスカ自身も75歳の時に旦那様を亡くしてから、72年間弾いてきたピアノをやめてしまっただけではなく、養老院の予約までしていたというのだから、私の老人についての見方はそれほど的外れではなかったのだが。

しかし、それから14年の間にスレンチェンスカが9回の来日を果たし、数十回の意義深い一期一会の演奏会を成功させ、多くの波乱万丈のエピソードが生まれ、さらにこのように14,15枚目のCDが世に残ることになるとは、一番驚いているのは私とスレンチェンスカ自身なのだ。もっとも、お互いこれが最後だ、という思いで取り組んできたことで、毎回その前の業績を超える成果を残せたことが何よりの喜びだ。

スレンチェンスカの人生にドラマチックな起承転結があるように、2003年からの人生最後の結びの中での日本での14年間の活動はまた見事な起承転結が出来ていた。(その経緯は「ルース・スレンチェンスカの芸術」Vol.1~Ⅶの解説書で詳述したので、ご参照頂きたい。)84歳、2009年の「ブラームスの30曲のピアノ曲集」(Vol.Ⅵ)で、私もついにスレンチェンスカは新しい創造への奮闘の終着点にたどり着いたと思ったが、実は2013年の89歳からこそが彼女の最終章のスタートだったことが判明し出したのだ。

しかし、この89歳の試みが結果的にはこれまで以上の実を結んだとは言え、あまりにもハードすぎることになったので、またもや私は「もう十分すぎる!」と心の中で叫んだ。

【Liu 三船ファミリー art アンサンブル in 岡山】

スレンチェンスカもそれまで同様のニューヨークでの独居老人の生活に戻り、平穏な日々が3年経った2016年の夏に、私の友人が急にあるアイデアを勝手に実行に移したのだ。私の父の子孫をゆかりの岡山に集めて「三船ファミリー・コンサート」をしようと、一年後の演奏会場まで押さえてしまったのだ。

抽象画家だった私の父の子供4人と、それぞれの孫11人が全員音楽と美術に携わっているということをその友人が思い出してくれ、岡山のルネスホールで展覧会と舞台(バレエ、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、チェロ、箏、能管、三弦)を三日間に渡って繰り広げる大掛かりなイベントだ。

日本、台湾、フランスに暮らす私の兄弟妹の子供たちを小さい時から知るスレンチェンスカに、子供たちの成長を見て頂こうと招待の便りを出し、そして最後に「しかし、先生の演奏はありません」と付け加えた。

私としては十数人の家族の演奏だけでも時間が足りない上に、すでに92歳になるスレンチェンスカは演奏が出来るだけのコンディションを保てていないはずだと、当然のように思ったからだ。

しかし、なんと翌日に「ミフネ・ファミリーの一員として、私にも一曲弾かせて頂戴」とメールが返ってきたのだ。そして、すぐにワンステージのプログラムが送られてきたが、それでも私はまだ半信半疑だった。

2017年7月26日 岡山空港到着

しかし、演奏うんぬんの前に、92歳になるスレンチェンスカをどのようにニューヨークから日本に来てもらい、また家に送り届けるか、前にも増して一番の問題だった。しかし、すぐにサンフランシスコ在住の台湾人でスレンチェンスカのファンのマダムが、一か月家を空けて先生に付き添ってくれることとなり、幸先のいい見通しとなった。岡山のファミリー・コンサートの一週間前の7月20日の早朝4時にスレンチェンスカが台湾の空港に無事に到着、という知らせが出迎えに行った弟から届いた。

そしてその夜に、スレンチェンスカは空港でハンバーガーをかじっただけで、そのまま何回も教鞭を取られた東呉大学へ直行し、夕方までピアノを弾いたという続報が入った。その時初めて、私はまったくスレンチェンスカを見くびっていたのだということに気が付いた。しかし、これはまだ序の口だったことが、間もなく私はさらに思い知らされることとなるのだった。

劉生容の絵を背景に踊る三船元維と竹田仁美

演奏会2日前の7月26日に、スレンチェンスカが私の台北の弟家族とともに岡山空港に到着。初来日の14年前から毎回同様、そのまま私の所のスタインウェイへ直行し、3時間ピアノを弾き続けたのだった。居合わせた家族全員が、92歳のスレンチェンスカの前よりもパワフルなタッチに驚愕した。(12年ぶりの岡山での公開演奏)

一曲だけという最初の演奏予定が、最終的には3日間のファミリー・コンサートの最終日の30日のソロ・リサイタルのためにスレンチェンスカが準備したプログラムは、モーツアルトのピアノ・ソナタ3曲(第9(8)番K.310、11番K.331、17(16)番K.570)及びラフマニノフの前奏曲3曲(作品,23-6、,23-5、32-5)に膨れ上がった。

2017年の夏、酷暑の岡山でのスレンチェンスカの怒涛一週間の活動は、92歳と7か月の年齢を忘れさせるものとなった。

朝の3時間の練習以外は、28日から始まる我々の演奏のリハーサルから本番までをつぶさに見て聴いてくれ、毎日の遅い時間の夕食に付き合い、30日の午後の自分の本番を迎えた。

定員250名ほどの岡山市のルネスホールは、関東、関西、四国などからもスレンチェンスカ・ファンが駆けつけ、かつてない熱気に包まれた。朝のリハーサルの後、スレンチェンスカは私に曲順の変更を告げた。(前半はモーツアルトのソナタ第9(8 )番、第11番、後半に第17(16)番、ラフマニノフの前奏曲Op.23-6、23-5、32-5の曲順を、前半モーツアルトの11番、17(16)番、後半はラフマニノフOp.32-5、Op.23-5、Op.23-6、最後にモーツアルト第9(8)番に変更)

劉・三船ファミリーの出演者たち(後列中央・岩崎淑)

同じ曲目でも、演奏する順番によって全く伝わるメッセージが違ってくるということを私は知ることとなった。

実は最初の曲順は、スレンチェンスカが少しずつ送ってきた曲を、私がまとめたものだが、モーツアルトのソナタは作曲順で並べ、前半の最後を「トルコマーチ」、後半の最後は2003年の初来日の時に、最初に演奏したラフマニノフの前奏曲Op.32-5で、日本での最後となる(はずの)演奏会をしんみりと締めくくる、という私なりの快心の見立てだった。

しかし、スレンチェンスカが順番を変えただけでなく、最初に予定外のシューマンの「献呈」から始め(三船ファミリーに感謝する意味で)、アンコールはプログラムのどの曲の深い味わいをも吹き飛ばすぐらい軽快な、ラフマニノフの「イタリアン・ポルカ」で締めくくった。それによって、演奏内容が意義深くなり、起伏に富み、めりはりが効いて、さらに聴く者に訴えかけるものとなった。聴衆全員のスタンディング・オベーションに答えてのアンコールの前に、私がスレンチェンスカに聴衆へのメッセージを求めた。

「ラフマニノフが、他国へ嫁いでいく娘のことを悲しんで泣いていた妻を慰めるために弾いたと言われる曲です。」「人生は短い!泣かないで、さあ踊ろう!」老巨匠にふさわしいお涙頂戴の「さようならコンサート」をもくろんでいた私の意図は木端微塵に砕かれた。

会場の中のどの聴衆よりも年長の、この92歳と7か月の演奏家が実は一番パワフルで、その演奏はみんなに前向きに楽しく生きることを鼓舞するものだったのだ。

演奏会の後、一時間に及ぶ100名以上の聴衆へのサインを終え、打ち上げのパーティ会場では、県内外から集まったスレンチェンスカのファン90名が待ちかねていた。くじで席順を決めたにもかかわらず、同じ「ルース体験」者同士、スレンチェンスカを囲んで初対面とは思えないくらい、会場が熱気と談笑のるつぼと化した。

それは、まさにスレンチェンスカの音楽によって人々が性別、年齢、職業の区別なく一つのファミリーになるという理想郷が実現した光景だった。

2017年8月1日夜 レコーディングを終え、くつろぐスレンチェンスカ

《老いは成長の始まり》

酷暑の中の3日間の演奏会は、ほぼすべてがパーフェクトに終了し、スレンチェンスカの思わぬ元気さも確認出来て、私が安堵したのもつかの間、ホテルに戻る道中、スレンチェンスカが「私の友達である劉生容記念館のスタインウェイでさらにモーツアルトのソナタを録音したいので準備するように」と私に言い渡された。

スケジュールの関係でわずか一日の準備で、演奏会の翌々日にルネスホールで演奏したプログラムの他に、第3番K.281を加えた内容で、数人のファンに聴衆として急遽立ち会ってもらい、劉生容記念館でのレコーディングに臨んだ。

暑さが過酷を極めていた中で(その上レコーディング中はエアコンを止めざるをえなかったし)、朝の2時間のウォーミングアップの後、私の家内が用意した昼食のうどんを3本口にしただけで(ホテルの朝食も口にしなかった)、午後の6時までにすべての曲の録音が終了した。

これほど省エネで効率のいいレコーディングがかつてあっただろうか?

しかも一音ずつの凄まじい勢いと、一点の迷いもない一気呵成の演奏は、一昨日の演奏を知るわれわれを驚かせた。

すべてが終わった後、スレンチェンスカは私に言った「先日の演奏は忘れて頂戴。今日の演奏はさらに良いから!」と。

一週間弱の滞在中でも日ごとに進化を遂げている様を見て、私が数日前にスレンチェンスカに「先生の筋肉は前よりも力強いように感じますね」と言ったら、即座に「そんなことはないわ。筋肉は年とともに衰えるもの。」「ショパンの難曲を弾くのに私も大きい筋肉を鍛えて、十二分に表現してきましたが、今は大きい筋肉が無くなってきた代わりに、私は小さい筋肉で違う美しさを表現するのですよ。」「老いは成長の始まりなのです。」と答えた。

岡山県真庭市 美川小学校にて

《千年桜との再会》

来日前の便りでスレンチェンスカが希望していたことの一つは、10年前に奉納演奏を捧げた岡山県北の真庭市の山頂にある醍醐桜との再会だった。せっかくなので、10年前奉納演奏の日にスクール・コンサートで訪れた3つの小学校の中の美川小学校でも演奏してもらうことにした。

醍醐桜の地元の友人との再会

レコーディングの翌日の朝に出発、岡山市内からスレンチェンスカのファン数十人、新聞社、テレビ局数社も取材に駆けつけ、賑やかな一行となった。

真っ先に訪ねた美川小学校の体育館の真ん中には、すでにグランドピアノが置かれてあった。スレンチェンスカはショパンの前奏曲、ワルツ、モーツアルトのソナタなどを、炎天下では気温38度を超えるむし暑い館内で、1時間に渡って次々と演奏。最後のショパンの「黒鍵」の指捌きに、ピアノのまわりで見守った子供たちは目を丸くし、歓声を上げた。

醍醐桜の下にて

小学校を後にし、醍醐桜に向かった。スレンチェンスカは、朝から待ちわびていた地元の方たち(ほとんどスレンチェンスカと同じ年齢)と再会を喜び合った。10年前の桜への奉納演奏以来、スレンチェンスカは村人たちにとって親類のような親しい存在となっていたのだった。

岡山県 湯原温泉にて

醍醐桜の下に佇んで、この老樹と出会ってからの10年間に日本で起こった数々のエキサイテイングな出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡ったのだろうか、スレンチェンスカがふと口を開いた「75歳の時主人に先立たれた時は生きる気力もなくなったが、それを乗り越えて再び演奏を始めたら、このように成長することが出来た。」「どのように成長するか、その道筋は選べない。人生がそれを決めるの。」「だからひたむきに、一日一日強く生きていくわ。」スレンチェンスカは老巨樹に語りかけていながら、自分を新たに奮い立たせていたように見えた。その夜、真庭市の湯原温泉に宿泊し、スレンチェンスカの疲れを労った。祝杯を挙げて、スレンチェンスカは同席の方に初めて私への感想を述べた「ドクター・ミフネに付いて行ったら、いつもどこへ連れて行かれるのか、さっぱりわからない。今日も小学校で演奏するとは知らなかったわ!」

しかし、そのような思いもよらぬ出来事をいつも最善の形で仕上げてきた積み重ねの上に今のよろこびがあるということを一番よく知るのもスレンチェンスカであった。

翌日の午後、スレンチェンスカは私の妹と多くの友人が待つ台北へ出発した。そして、間もなく私は台湾で岡山以上の超人ぶりを発揮するスレンチェンスカの消息を台北の弟から知ることになるのだった。

ルース・スレンチェンスカの芸術Ⅷ

─モーツァルト・ピアノ・ソナタ集
LIU-1014/15(国内盤CD2枚組)税込定価¥4400
録音
2017年8月1日 劉生容記念館
使用ピアノ
劉生容記念館蔵 1926年製スタインウェイ
演奏
ルース・スレンチェンスカ(ピアノ)
92歳の奇蹟のピアニスト、モーツァルトのピアノソナタの通念を覆す驚異の演奏!

「老いは成長の始まり!」
2017年夏、岡山で信じがたい活動をした92歳の巨匠が人類の身体と芸術の進化の可能性をここに示す。

〒703-8266 岡山県岡山市中区湊836-3
FAX & TEL 086-276-8560

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